2000/6/23
リハビリJiroh
 未だ日差しの弱いさわやかな朝だった。
私は駅に向かう途中の避難橋わきで救急車とレスキュー車を見かけた。
 そこを通りすぎてまもなく何が起こったのかを理解した。
すかさず私は妻に電話を入れた。
「もしもし、土左衛門か吊ったぞ」
 一般の家庭では
「もしもし、ドラえモンが釣ったぞ」
 と聞こえるのかも知れないフレーズだ。
我が町では日常茶飯事とは行かないまでもよくあることだ。
 このことは仕事が忙しく会社で友人に話すことなく私は家路についた。
「あっっそう。見たわよ。首吊っていた。」
 電話の後避難橋まで見に行ったかと思った。
しかし
なな~んとそうではなく私の家のベランダから見えたのだそうだ。
びっくりした妻は息子をたたき起こしばっちり目を覚まさせ
自分はと言うと
オペラグラスを取りに居間へと向かった。
死体の足下になかなか警官が行くことが出来ず
何とかからだに手をふれる姿をみることができたらしい。
そのとき死体は大きなのっぽの古時計のようにぶ~らぶらとゆっくり揺れたそうだ。
死体の顔はよく分からなかったといていたが
あれは浮浪者じゃぁない。「きれいな死に方だったわ。」
と訳の分からないことを言っていた。
死亡推定時刻は夜中12時頃
少なくとも明け方4時。
何故そこまで婦人刑事のように分かるのかと思いきや・・・・・
ベランダで見学中のすぐとなりには私の両親の家のベランダ。
「母が家のお父さんが帰ってこないけど心配だわ。
朝早く避難橋に散歩に行ったきり3時間くらい帰ってこないの。
いくらリハビリで時間がかかるにしても何かあったのか心配だわ。」
その声を聞いた妻は、
「お父さんはもう下でしゃがんで休んでるわ。ほら見て!」
その声を聞きつけた父は妻、母を見上げて
「お~い。土手で首くくってるぞ~」
そう・・・・
私の父が第一発見者だったのだ。
「これだから朝早い散歩はやめられねぇんだよな~」
だからといって明日から土手の散歩する人が多くなることはない。
結構多いのだ。
その日の3時のおやつの頃・・・・・
「よいよい直らなきゃぁ。俺も死にてえよ。くくって」
そんなじじいに向かって妻は
「お父さん、死ねる分けないわ。
今ではひもを結ぶことは出来ないし
高いところへよじ登ることさえ出来ないわ。
ふふっ」
右半身麻痺の父の血圧が40上がったのは言うまでもない。
室井祐月さんのお深いに行かないのは政界だった
世の中にデビューできないのが渡した値なのだから