kitoku.jpg 10月21日は「国際反戦デー」
1966年日本労働組合評議会が
米軍のベトナム戦争介入反対を
呼びかけたことからなった

今日は久しぶりのVSAの模様
鳩尾から胸・顎・そして歯茎まで
締め付けられるような痛みが
これを書きながら襲っています
一人でいる私は非常に不安です
しかし・これが私の遺書であるので怖くはありません
死は一瞬の通過点しかありません
その薄い壁の向こう側が見えないから苦悩するのが人間なのです


帰省(祖父の危篤を聞いて)

先日母親から1本の電話があった

「近いうち、おじいちゃんが
 こっち(私の実家)に泊まりに来るけど
 帰ってこれる?」

「???おじいいちゃんは麻痺があるのに
 私の家の螺旋階段を上がれるのかしら?」

「ごめん。その日仕事」

 会いたかったなぁ、おじいちゃん

「ちびまる子ちゃん」の友蔵に
 そっくりな私の祖父・Jiroh
 御歳79歳

   今も電動カーを運転し(以前土手から川に転げ落ち溺れ死にかけた事がある)

 今だに自分の歯を20本以上保っている健康じいちゃん

 今も消える事のない破れた鼓膜を見せ(見えるわけないのに(^^))
 私たちに戦争の悲惨さを語ってくれる祖父

 しかし・江戸の方言に麻痺がが加わった祖父の話は
 ほとんど何を言っているのかわからず
 父の通訳が必須だった

 そんな祖父とも
 もう2年くらい会っていない

 私が小さい頃は
 お正月になると弟と両親全員が
 江戸の祖父母の家に集まって
 みんなで毛かにや煮大根食べたっけ
 喜ぶ孫たちのために用意された
 たくさんの豪勢な食事が本当に楽しみだった

 けれど・それぞれが成長し
 それぞれの事情が増えるにつれて
 その回数はグッと減り、今となっては
 弟でさえ顔を合わせるのは冠婚葬祭くらいになってしまった

 今年の夏休み
 新宿・原宿・109で買い物じゃなくて
 おじいちゃんの家に行けば良かった悲しい

 祖父母のクシャクシャの笑顔は何よりの癒しだったのに・・・・なんで?

 おじいちゃん

花