
1995年に日本特用林産振興会が設けた
10月がきのこの需要のピーク
黒川紀章さんは突然亡くなりました
突然だと思うのは私だけで
本人はある程度わかっていたのではないでしょうか?
事実上の妻である若尾文子さんとは別居生活上だったと聞きます
彼はそんな妻に
「私が死ぬまで離婚はするな」
「君が裕福に暮らせる遺産を残せるから」
「その代わり君は自由に行きなさい」
「それが君を放って世界を歩きまわった私に出来る最後の償いだ」
そして弟子達に残すもの・・・・・
黒川紀章世界では大活躍の有名人ですが
今や日本では日本遺産
それを気遣い無理をして日本中に会社を知らせむべく
参議院選挙・・・東京都知事と出馬したのではないでしょうか
その中都知事選では知り合いである現石原都知事にお願いをして
滑稽に扱うことで私に注目を当てて欲しいと願ったのではないでしょうか
それが黒川紀章さんが出来た生前贈与だったのではないでしょうか
それを思うと
若尾文子さんが
「私は悪い妻だったでしょ?」
と彼に言っていた意味が分かるような気がしました
※別居情報は母Hedeko談
